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平安女流文学シリーズ 5「枕草子」完結編

「枕草子」がこれほどまでに読者を惹きつけ、時を越えてきらめきを失わないのは、なぜでしょう。作者の定子への愛の強さ?…それは大きな要素ですが、しかし「枕草子」は決して「中宮定子物語」ではありません。清少納言の興味は、世に生きる人、言語、風物、自然、あらゆるものに向けられているからです。
その表現力は、お茶目でありながら力強い。誰もが見落としがちな事を、すっと指摘する際のユーモア、花や風景を語るなめらかな語のつながり。頭脳の切れを浮かび上がらせる冴えきった文章は、21世紀の読者の心にも、さくっと入ってきます。

第4段
同じことなれども聞き耳ことなるもの 法師のことば。男のことば。女のことば。下衆のことばには、必ず文字あまりたり。

「同じ内容には違いないが、聞いた感じの違うもの  坊さんの言葉。(恐らく口調が重厚で使う言葉がもったいぶっているため)男の言葉。女の言葉。身分の低い者の言葉には、必ずと言って良いほど不必要な語がくっついている。」


第35段
木の花は、濃きも薄きも、紅梅。桜は、花びら大きに、葉の色濃きが、枝細くて咲きたる。

藤の花は、しなひ長く、色濃く咲きたる、いとめでたし。四月のつごもり、五月のついたちのころほひ、橘の濃く青きに、花のいと白う咲きたるが、雨うち降りたるつとめてなどは、世になう心あるさまにをかし。花の中より黄金の玉かと見えて、いみじう鮮やかに見えたるなど、朝露に濡れたるあさぼらけの桜におとらず。

「木の花は、濃いのでも薄いのでも紅梅。桜は、花びらが大きくて葉の色の濃いのが、枝が細くて咲いているのが素敵。
藤の花は花房が長く、紫色が濃く咲いているのが素晴らしい。4月の末か5月の初旬の頃、橘の葉が青々と濃いのに、花が真っ白に咲きにおっているのが、雨の降る早朝などには、世にまたとない美しさだ。花の中から、まるで黄金の玉のように、実が鮮やかにのぞいている姿は、朝露に濡れる朝ぼらけの桜の風情に劣らない。」

筆を走らせるその女性は、当時の先端の知識人が読むあらゆる書物をわが物としたインテリであったと同時に、本の世界に魅せられた少女でもありました。物語の中の姫君を密かに自分に重ねていた幼い日。
しかし、少女の父親は中の下の貴族であったという無惨な現実…わたしには、姫君のような人生は与えられないのかしら? 今のままでは、父と同じ家柄の男性の妻になって、母になって、夫と子供の世話をして終わるだろう。
和歌はいまいちでも別な才能が私にはあるのに!

そんな彼女にとって「宮仕え」のオファーがどれほど心弾むものだったか。第22段の「生ひさきなく、まめやかに」で語られる宮仕えの勧め論は、憧れがかなった人の嬉しさと自信に満ちています。ここで清少納言は「周囲の言うことなんて気にしないで! 女性だって世間を見たほうがいいのよ!」と主張していますが、彼女の場合、仕えた場所も相手も、実に需要と供給の幸せな一致でした。ここからは、その「幸せな一致」についての私の説をぶちます。

私は清少納言という人は「高貴な身分」への憧れが大きいと思うのです。つまり定子がそこそこの器の姫君でも、中宮と言うだけで清少納言は敬ったでしょう。しかし、この道隆の姫君は、おそらく平安史上の数多い后の中でも人間的にスケールが大きかった。

「枕草子」中に中宮が主人公の段は31段あり、そのうち(中宮が)「笑はせたまふ」とある箇所は17箇所もあります。何に対して笑っておられるのかというと、清少納言が「白楽天」の一節を引いて中宮の容姿を賛嘆する、それに対して、にこにこしながら別の詩で返答されていたり、また、仕える女房の事を殿上人が褒めたと聞くと、そのことをとても喜んだという記述もあります(第131段)。

雪がたくさん降った朝に宮中の庭に巨大な雪山を作らせるなど(第83段)、生活に「をかし」を忘れない、常に周囲に気配りし、その場を明るく和ませる女性だったのです。
清少納言は中宮と接するうちに、「物語の姫君」にはない、なまの人間性の確かさ、すなわち、高貴な者ほど心と精神を磨きあげる努力が必須なのだということを感得したのかもしれません。高貴であること、それは下の身分の者への責務を果たす事でもあるのです。そして仕える程にその不断の努力に感動し、尊崇の念を高めていったのでしょう。
清少納言が、定子の一族の没落を書かなかったのは、書くのが辛いからではなく、現実への抵抗なのです。「これほど素晴らしい方が敗北者であるものか」と。それにいったん気がついてしまうと、逆に作者の悲しみ、悲憤が、切々と響いてきます。天皇のお后が、当の天皇すら頼れない状況のなかにいるという理不尽さ…
「枕草子」が、「中宮定子物語」にならなかったのは、元来が中宮に読んで楽しんでもらうために書かれたからだと思います。そして書きつづるいずれかの時点で、中宮が逝去し、清少納言の中で何かが変わったのです。
「他の誰かがあのお方の一生を書いたら、それは落ちぶれた悲劇のお后として語られるだろう。そんなのは許せない」

私が前編で「使命感」と書いたのは、このことです。世にあの方のお姿を最上のかたちで残すのだ!恐らくは書いている最中に、中宮を追憶して何度も涙しながらも、清少納言はカメラのシャッターのごとくに中宮の在りし日を写し取り、独自の観察眼で築いた絵画のような散文のまわりに散りばめました。彼女は、自己の文章世界の、明るさとその裏腹の根強い劣等感に気づいていましたが、それをあえて隠しませんでした。
隠すのは、恥じる思いがあるから。ここでわたしが自分の生き方を恥じては、目をかけてくださった中宮さまに申し訳ない。

…道長さま、現実の世はあなたさまのものです。しかし文学の世界ではわたくしのあのお方が勝利者でしてよ!
清少納言は、自らの才能を中宮のために奮い立たせ、そしてついに理想と現実の段差に打ち勝ったのです。





画像は、池田孤邨(いけだ こそん)画の「香炉峰雪図」(1866年)。三井記念美術館所蔵。31日まで開催されている「国宝 雪松図と近世絵画」で実物が見られますm(_ _)m


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