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平安女流文学シリーズ 4「枕草子」中編

92f512bb.JPG清少納言にとって、中宮定子が世界の全てでした。限りなく愛しい存在であると同時に、ひざまづくばかりの尊い「高貴」の香りの存在。現代人から観ると、その中宮への尊崇は、手放し過ぎて不思議ですらあるのですが、むしろなぜ定子がそこまで作者を惹きつけたか、を考えるのが「枕草子」をよりよく味わう手がかりになると思います。
それには、中宮定子がどんな人物であったかをまずさぐらねばなりません。

定子は、「蜻蛉日記」で詳述しました藤原兼家の孫です。兼家の長男、道隆の長女で、いわば后になるのが当然という雰囲気で成長した事でしょう。ただの「后」ではなく、最高位の「中宮」を期待された。
そして正歴元年(980年)正月に一条天皇が11才で元服すると、すかさず入内。2月には女御の位に、10月には中宮です。5月に関白となった父、道隆の威光がついていますから、このスピード出世(?)に誰も疑いを持ちません。配偶者一条天皇の意向はどこにあるの? と問いたくなりますが、11才の子供ですからね…


恐らくは、兼家の父師輔あたりから、娘を天皇に寵愛させた者が政治の実権を掌握出来るとの認識が、藤原氏の一門に芽生えたのでしょう。「ソフトパワー」で、間接的に天皇の上に立つ。その重要性を考えれば、娘の教育をしっかりせねばなりません。
わが娘を天皇に愛させる、で、娘が生んだ皇子を位につけて…あとは言うまでもないでしょう。考えてみれば隠微な権力闘争ですが。

定子と一条天皇。
11才と14才の「夫婦」の世界は、男女の仲というには浅いモノでしたでしょう
が、それは時間とともに、荒波の小舟となりゆきます。

定子が19才の春に父、道隆が病のため逝去、翌年、定子の兄の藤原伊周と弟の隆家が不敬事件を起こし(注)めざとい道長によって都を終われるのです。よりによってこんな時期に、というべきでしょう。道長は喜びました。最大のライバルがへまをやったのですから…史実によると、伊周と隆家の罪状が決まった際、定子は落飾、つまり髪を切って尼となるのですが、この時彼女は身重でした。時のお后が尼になると言うのは大事件のはずですが、当時の宮廷がそれをどう受け止めたかは、残念ながら知るよしはなく。定子の行動は、もちろん道長側への抗議の意がありますから、「大事件にしたくなかった」勢力があったと推理するのが妥当でしょう。

追い打ちをかけるように、中宮の二条の邸が出火し、母方の高階家に身を寄せます。出家した身なので、宮中に入る事が憚られるためです。
配偶者の一条天皇すらも、定子を守る役には立たなかったのです。摂関政治について調べた方ならお分かりかと思いますが、当時の天皇というものは、摂政関白にがんじがらめにコントロールされて生きている存在と言っても過言ではなく、一条天皇は特に、母后である東三条院(とうさんじょういん。円融帝の后。兼家の次女)に頭が上がらなかった。で、その東三条院が道長大好きだったのです。

道長は、長女の彰子が12才になると入内させます(長保元年)。明けると即座に中宮にし、定子は「皇后」に。実は「皇后」とは、前の天皇の后への尊称だったはずですが…そして、その年の暮れに、皇后定子は第二皇女のお産により亡くなりました。
どうも、面白くない歴史記述ばかりになってしまいましたが(苦笑)、私がこれによって思うのは「伊周、愚かすぎ!!」とか「ほんとーに、天皇という存在は、藤原の男のコマでしかなかったのね」とか「東三条院ってそこまで中宮定子がキライだったのかしらん」とか、また、男親の亡くなる事がいかに娘に打撃を与えるか…




私自身が、父親が早くなくなったことからも、深く考えずにいられませんでした。いや、定子は、一時は栄華に包まれていた身ですから、その思いはいかほどか。さぞかし辛かったのでは、と憶測しますが…
********************************

「枕草子」中には「職の御曹司(しきのみぞうし)の…」という書き出しで始まる段が3つありますが、職の御曹司とは何の事かというと、中宮関係の庶務をつかさどる役所を「職」といい、そこの局が定子と女房たちの生活の場だったという事実を、どう考えるべきか。それって、天皇のお后の処遇なのか?と私は調べてびっくりしたのですが、「枕草子」には、そのことを悲しむ筆致は何一つありません。嘆き、ままならない世の悲しみ、そういったものは、清少納言の筆からは、すっぱりと切り捨てられています。

あるのはただ、優雅で、ろうたけて、人心掌握術に長けて、装いの趣味の素晴らしい中宮定子の笑顔。兄、伊周との和歌を引いた洒脱なやりとり。「物語にいみじう口にまかせて言ひたるに、たがはざめりとおぼゆ」
物語に書かれる美は、口から出まかせで本当ではないと思っていたが、ここのお二人の有様を見ると、正真正銘のことだったのだ!と、清少納言は書いたのでした。


…書いている当時はいつの事なのか。うきうきしながら書いたのか。それとも中宮を追憶しながら、書いたのか。清少納言はそれについては語ってくれません。不幸をなかった事にする、語らないのは、逃避ともとれますが、それはむしろ「抵抗」ではないでしょうか。
…私は決して嘆きません。私のご主君は、悲劇の方ではありませんから!

後編では、もう少し、「枕草子」自体のテキストについて、清少納言自身の言葉、世界観について書きたいと思います。

(注:長徳2年、正月16日、一条天皇の前の天皇にあたる花山院に対して、伊周と隆家が、矢を射かけたてまつったこと。原因は、伊周が藤原為光の三女のもとに通い、院が四女のもとに通っていたのを伊周が自分の愛人をとられたと思いこんだので、単におどすつもりでテキトウに矢を放ったところ、運悪く院の袖を貫いてしまったという事件。道長の手にかかると、これに「東三条院を呪詛した罪状」までくっついてしまった)

画像は、上が「駒競行幸絵巻(こまくらべぎょうこうえまき)」。関白藤原頼通(道長の長男)の邸で行われた行幸の様子である。実物は和泉市久保惣美術館所蔵。
下は、「葉月物語絵巻」の、秋の夜の御遊の模様。徳川美術館所蔵。
 *「枕草子」完結編は27日に公開です!!


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