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平安女流文学シリーズ3 「枕草子」前編

48346468.JPG以前私は、mixi 上のあるマイミクさんへのレスで、「枕草子ってブログだよね」とお書きした事があり、その見解は今でも変えていませんが、ブログのように見える、その書きぶりの明るさと、それと裏腹の作者、清少納言のある種の劣等感、これこそが枕草子に多様な魅力を与えているように思えます。
清少納言は、ご存知のように歌人として名声のあった清原元輔の娘です。「枕草子」中にも中宮からそのような和歌を読みかけられている記述があります。(第95段「五月の御精進のほど」)

ただし、作者自身が歌人として褒め称えられていたかどうかはちょっと判別できない。作者清少納言は、自分が中宮定子にことのほか目をかけられていたことを堂々と記す人でしたから、「和歌の名人」と言われたなら、そのことも書くと思うのですが、それについては無言です…なので、ここで憶測してしまうと、「お父さんに似ずに、和歌はいまいちだねえ」と、兄弟などに言われて育ったのやもしれません。
ただし、当時の男性の必読教養の「和漢朗詠集」「白氏文集」「史記」と言った書物を相当読み込んでいたことは間違いないところであり、本人もそれを臆せず披露し、会話に織り込んで相手を感嘆させているわけです。(そういった態度を、後に紫式部から酷評されるのですが…)

「枕草子」は、一見、闊達で理知的で明るい女性が、日常を「えーっとね、ワタシ春なら曙の空の景色が、もーーー、最高なの。夏だったら晩でしょ、月夜だね」との出だしに象徴されるように「あれがいいよね、こういうのはダメよ、イケてない」と、おしゃべり口調で書きつづったかに見えます。が、読み進めてゆくうちに、この女性が、実は「理想と現実」の段差、違和感をかなり鋭敏に読み取り、段差に人一倍傷ついているのではないか、まさに感じやすい少女のまま、大きくなった人なのかもしれないと気づかされます。
それは、こんなくだりに表れています。
第92段
かたはらいたきもの  まらうどなどに会ひて物言ふに、奥の方にうち解け事など言ふを、えは制せで聞く心地。思う人のいたく酔ひて同じ事したる。聞きゐたりけるを知らで、人の上言ひたる。それは何ばかりならねど、使ふ人などだに、いとかたはらいたし。(中略)才ある人の前にて、才なき人の、物覚え声に、人の名など言ひたる。

「来客などに会って話をしているときに、奥の方でリラックスしきった内輪の話をしているのを、止めるわけにもいかずに聞いている気持ち(お客さんの前で内実をばらさないでよ!)。自分の好きな人が酔っぱらって、同じ事を繰り返し言い続けているの(ああ、なんだか幻滅)。そばにいて、ずーっと聞いていたのを知らないで、人のうわさ話をした場面。それは、大した身分の人ではなくて召し使いなどの場合でも、とてもいたたまれない気がしてしまう。学識のある人の前で、学識のない人がいかにも物を知ってます、という声で古人の名前など話しているところ(こちらが恥ずかしくなります)。」


…カッコ内は、筆者が分かりやすさのために補いました(笑)。「かたはらいたきもの」とは、ハタで見ていてこちらが苦痛になってくる、苦々しいからやめてくれよ、と言いたい状態を指すことはお分かり頂けるでしょう…現代でももうほとんど通用しますね。

ここから読み取れるのは、日常などに「美しい理想」を求め、その通りにならないと、げっそりしたり、腹を立てたりする女性の姿です。実は「枕草子」には、美しいモノ、素晴らしいモノを数え上げる段もありますが、嫌なモノ、作者の心に沿わないモノ、不調和なモノを数え上げる段も相当量あります。
298段中34段です。また、「素敵なものーがっかりするもの」を並べた段もあるのが興味深いです。例えば185段。

大路近なる所にて聞けば
大路近なるところにて聞けば、車に乗りたる人の、有明のをかしきに簾あげて「遊子なほのこりの月に行く」といふ詩を、声よくて誦したるもをかし。馬にても、さやうの人の行くはをかし。
さやうの所にて聞くに、泥障(あふり)の音の聞こえるを、いかなる者ならむと、するわざもうち置きて見るに、あやしの者を見つけたる、いとねたし。

「大路に近い家の中で聞いていると、牛車に乗っている人が有明の月の面白さに簾を上げて、『遊子なほ残りの月に行く』という漢詩を、素晴らしい声で吟唱しているのも興がある。馬に乗った人でも、そんな人が外を通るのはいいものだわ。そうした所で聞いているうち、泥障(注:泥よけの馬具)の音が耳にはいるのでどんな人なのかと、やりかけの用事もほうって見に行くと、大したことのない人(素敵な男性でも期待したのでしょうか)を見つけたときは癪にさわるわ」


こういった段を読むと、まことに清少納言という人は、正直というか可愛らしい人だと親近感を持たずにはいられません。はきはきと、恐れを知らない子供を連想させます。子供の割に観察眼が鋭く、そして表現力が磨き抜かれている。簡にして要を得ているのです。

「枕草子」は、いいモノ、嫌なモノを数え上げただけでなく、人の心の襞もあり、宮中の事件もあり、悪く言えばまとまりがありませんが、それは作者の好奇心の広がりに原因があるのでしょう。清少納言は、好奇心と知性と、あふれる「美への賛美」に燃える女性だった。
だから、嫌なモノはとことんイヤなのです。彼女の「理想と現実の落差」への悲しみは、相当なものだと私には感じられます。

彼女の対峙した現実とは、ほとんど誰もが知っている事実ですが、女主人、中宮定子の栄光と落日、そして出産による早すぎる死…
道綱の母と、彼女の愛した兼家との心は、噛み合うかと思えばすれ違いました。それが彼女を文学に向かわせましたが、清少納言は、中宮定子への愛と尊敬と、ほとんど一種の使命感をもって、「枕草子」を書いたはずです。
中編では中宮定子の生涯と、清少納言との交流について述べる予定です。

画像は、上村松園の作品「清女けん廉之図」(1895年)。実物は北野美術館蔵。上村松園は清少納言が好きだったらしく、1937年の「雪月花」の「雪」の画でも簾を掲げる清少納言を描いている。

*「中編」は1月22日公開です!


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